去る7月18日に書いた考察記事「“ともだち”の正体がカツマタ君となる7つの理由」なんですが、数々の大手ニュースサイトやブログで紹介されたこともあり、現時点で7万回以上の閲覧やたくさんのコメントをいただきました。訪れてくれた皆さん、これから訪れるであろう皆さん、どうもありがとうございます。
感謝の気持ちを込めまして、同記事のコメント欄等で取り上げられている連載中に解明されなかった謎や伏線についてアレコレ書いてみますので、今回も拡大解釈のお役に立てたらこれ幸いです。
目次&関連記事
1.カツマタ君が5年4組から推測できる事実
スプーン曲げ騒動の話題で盛り上がるクラス会。
1997年のクラス会で、担任の関口先生がふいに語り出したスプーン曲げ騒動。改めて先生が犯人(フクベエ)を再確認する目的で、当時と同じく参加者が目をつむってる間に挙手させましたよね。
1970年(小5の2学期)に理科室で談笑するフクベエとヤマネ。
ヤマネの発言からスプーン曲げ騒動が5年生の時と明らか、当時と同じく参加者が目をつむってる間に挙手させた、クラス会が6年3組名義、以上の3点から、ケンヂ、フクベエらは5年3組の生徒だったことが判明します。と同時に、5年4組のカツマタ君とケンヂらは同級生ではないと分かります。
カツマタ君が5年4組とジジババにチクる2人。
そもそも彼らがナショナルキッドをサダキヨと思っていたのなら5年3組と告げなければおかしなワケで、この発言からフクベエとヤマネはサダキヨとカツマタ君と、2人のナショナルキッドを区別できていたと判断できます。
ジジババからカツマタ君を救うために、わざと5年4組ってウソをついたとも考えられなくはないんですが、「おまえは今日で死にました」って死の宣告や無罪を主張する彼をシカトしたりする行為をさも楽しんでいることからも、恐らくウソはついてないんでしょうね。
ホントにまったく、愉快なクソガキどもですね。
なので、チョーさんがこの時発見した“ともだち”はフクベエ。
カツマタ君は5年4組で、クラス替えなしに進級するなら6年4組になるので、ケンヂやオッチョと同級生であることからフクベエになります。
極度にいじめられる生徒に関しては特例でクラス替えの処置があったりするので、カツマタ君が6年3組になった可能性も捨てきれませんが、チョーさんが訪ねた宗教団体でピエールと一緒に修行したのはフクベエと描写されているので、ここは素直にフクベエと考えるのが順当かと思います。
2.1971年(小6夏休み最後の日)にモンちゃんが理科室に誘ったメンバーとは?
水槽のスイッチを入れるために集められたのは5人?
明らかなのはモンちゃん、ドンキー、ケロヨン、コンチの4人で、1巻ではさらにもう1人不明な人物が描かれています。5人とも同じような体格で、フクベエ死後のVAで小泉も曖昧に確認している?点からも、この人物が誰か気になるところですよね。
で、自分的になんですが、その人物=フクベエだと思ってます。
つい強調しちゃいましたが、これはあるパターンでの回答で、状況によってはフクベエでない人物が5人目になり得ます。どういうことか?
2-1.モンちゃんが5人で理科室に向かった場合はフクベエ
カツマタ君について曖昧な時点で、2代目“ともだち”ではない。
彼らがカツマタ君を誘った場合、果たして理科室までの道のりで↑のような言及をするでしょうか?なぜなら、バッヂ騒動以降いじめでシカトや殴る蹴るの暴行を受けたりしてるカツマタ君なだけに、この会話もシカトの延長と考えられなくはありませんが(※誘っといてシカトするっていう超陰湿なケース)、単純にモンちゃんらはカツマタ君が誰なのか気になってる感じですよね。
もしも彼らがカツマタ君ととっても仲が良かったなら、こんな風に誰だっけ?なトークをするハズもありませんし、何よりカツマタ君は5年4組と隣りのクラスです。とっても仲が良かったならクラスをまたいで誘うかもしれないけど、そうでもない人物をわざわざ誘うでしょうか。(同じく、クラスは違う&仲があまり良くなさそうなヤマネも誘ってないと考えられます)
オッチョやケンヂでないのは明白だし、それ以外の主要キャラなら少なからず誰かが記憶しているハズ。故に消去法で、フクベエ、もしくは物語にまったく関係のない第3者のどちらかだと自分は考えます。
首吊り坂騒動にて、万博組のハズなのに参加してることが疑問視されなかったフクベエ。
本来なら夏休みは万博で大阪に滞在しているハズのフクベエですが、行けずに自宅でひっそり身を隠すことに。1度はケンヂに肝試しの誘いを受けるも居留守を使い、後に好奇心(ケンヂらが巨大照る照る坊主で恐れおののく様を見たい)からひっそりと参加します。
集合場所の公園にてフクベエと仲間達に認識されるものの、誰1人彼が万博組=大阪にいなきゃいけない存在であることに構わず、自らの存在意義を自問自答するっていう。
このように、フクベエはとっても影の薄いキャラなんです。
だからモンちゃんらが彼を誘ったとしても、誰も覚えてなくてもおかしくないワケです。またフクベエの性格からして、1年前の首吊り坂のように、自らの奇跡(首を吊って死んでも生き返るトリック)に対してモンちゃんらがどういった反応や行動を起こすのか間近で堪能したいだろうし、そういう理由からも同じクラスのフクベエを誘ったのではないかと考えます。
なお、1巻におけるモンちゃんらの回想とヨシツネや小泉が体験するVAでの回想と若干異なる部分があるため、彼らが計5人で臨んだかは断定できません。そのため、もしも彼らが計4人(モンちゃん、ドンキー、ケロヨン、コンチ)で夜の理科室に忍び込もうとしたのであれば、いわくの5人目はフクベエだろうがヤマネだろうがナショナルキッドだろうが誰でもよくなります。
2-2.モンちゃんが4人で理科室に向かった場合は誰でも可
ドンキーが校内に侵入した次の瞬間、窓ガラスには人影が。
首吊り坂の照る照る坊主とは異なり、理科室の奇跡(トリック)ではフクベエが主体となります。だから悠長に4人の恐がっている様を間近で楽しむ余裕もないでしょうし、何より窓ガラスにはフクベエと思われる人影が一瞬だけ映し出されます。
フクベエもヤマネも白のポロシャツを着用していたワケですし、2人のどちらにも見えなくはないんですが、前髪の量の都合によりフクベエに軍配が上がるんじゃないでしょうか。なので、5人目の正体はヤマネかナショナルキッドのどちらかと考える方が賢明だと思います。
2-3.意外に万丈目が5人目かも?
1971年8月31日の昼間にコンタクトを取った万丈目。
あくまで極論なんですが、万丈目が第5の人物って考え方も可能です。フクベエがどうしてもひた隠しにしたい理科室での出来事をどうして知っていたのでしょうか?“ともだち”一派だった頃のヤマネ(口が軽い)に教えてもらったとも考えられますが、彼は1971年の夏休み最後の日にフクベエらと唯一コンタクトを取ってる人物と描写されているので、彼自身がモンちゃんらの後をこっそりとつけて理科室での出来事を一部始終覗いていたのかもしれませんよね。
ヴァーチャルアトラクション(以下VA)内とはいえ、神社に隠れてお化け扱いされてたし。
まあ可能性は限りなく低いでしょうが、彼がどのようにして1970年の嘘にたどり着いたかはかなりの謎と言えますね。
3.理科室での出来事とナショナルキッドとの関係性
3-1.1971年、理科室で何があったのか?
生き返りの奇跡を言いふらせとドンキーに促すフクベエ。
フクベエ死後のVAでは首吊りが成功と描写されていますが、もちろんこれは真実ではありません。本当にフクベエがスマートにこの偉業を成し遂げているのであれば、わざわざ首吊り坂騒動とすりかえたり、ドンキーはおろかヤマネを絶交の対象にする必要はなかったハズです。
注目すべきは“ともだち”(カツマタ君)の首絞めと回想。
途中で万丈目に制止されますが、“ともだち”の首絞めとともだち暦3年が幕開ける直前のこの回想、これらこそが1971年に理科室で起きた真実ではないでしょうか。軽やかに生き返りをヤマネやドンキーに宣言したフクベエではあるものの、首吊りが失敗に終わってたら話は全く変わってきますよね。
ケンヂらに照る照る坊主を嘲笑された際にも、自身のアイデアなのにサダキヨのせいにしたし、VAで1971年に首吊り坂騒動が起きたとでっちあげたプライドの高い(虚栄心の強い)フクベエのことだから、命からがら救助されたとしても、この失態を絶対に隠したいワケです。
ヤマネを絶交する機会はいくらでもあったと思うのですが、彼なくして細菌兵器の完成はなし得なかったワケですから、キリコの訴えで目を覚まし逃走した期間を含め、2015年元旦の理科室を絶交のチャンスとしたのでしょう。(まあ逆に殺されちゃうんですけど)
3-2.どうしてナショナルキッドは絶交の対象じゃないのか?
本当に彼はサダキヨなのだろうか?
VAでフクベエに行なった首絞めをいかにも真実と知ってる点からも、このナショナルキッド=カツマタ君の可能性は大なのですが、ヤマネやドンキーは絶交の対象なのに、どうして彼はそうじゃなかったのでしょうか?
仮に彼がサダキヨだとしても、2人に共通して言える要素からその答えが導けると思います。それは、サダキヨもカツマタ君も死亡説が唱えられたという点です。
1970年、ジジババでバッヂ窃盗の容疑をかけられたカツマタ君に一言。
ヤマネやドンキーは同級生に覚えられているタイプだから、将来理科室での失態をばらす可能性があるワケですが、カツマタ君やサダキヨのような、いわゆる死人(と扱われた)キャラの場合、彼らの話を聞く人間がいるでしょうか。死人なワケですから、話をするうんぬん、「えっ?オマエって生きてたの?」ってとこから話を始めないといけませんし、そもそもそんな人物が語る話に信憑性って存在し得ませんよね。
つまり、死人であることをいいことに、キッドを自身の影武者(第2の“ともだち”)と位置づける(共犯に仕立て上げる)ことで、理科室の嘘を隠し通そうとしたんじゃないでしょうか。
また、個人的にイチ押しのフクベエ双子説に基づくなら、以下のような面白い発想をすることもできるでしょう。以下、mixi【20世紀少年コミュニティ】のトピックより一部引用。
多分フクベエの首吊り失敗をたすけたのもカツマタくんでしょう。奇跡の失敗をフォローし、そこから彼等の主従関係は逆転してしまったのかも知れない…。フクベエがカツマタくんの万引き事件の時すごい冷めた目でカツマタくんを見てる一コマがあるんだけど、それを見てるとフクベエとカツマタくんがまったくの無関係とも思えない。やっぱフクベエの双子説有力…多分ヤマネはそれを知らずサダキヨだと思ってたんじゃないだろうか?
首吊り失敗したフクベエを下ろして、お面取ったらまたフクベエが出てきたらそれこそヤマネからしたら奇跡な訳で…。でもヤマネはやがてフクベエ双子の事実を知り、71年の嘘に気付く…。だから(フクベエ)ともだちは理科室で死に、(カツマタ)ともだちは理科室で生まれた、となるのかも。
理科室騒動から1980年に万丈目の事務所を訪れるまでの期間、フクベエの描写が限りなく少ないだけに、こういった考え方も可能なワケですよね。
もしもカツマタ君と双子であるなら、フクベエが死人扱い以外の点でも彼のことを生かしたのでは?って考えることもできますし、いやはや↑の書き込みは読んでて実に面白いと感じました。
4.首吊り坂でケンヂとオッチョが見たものとは?
照る照る坊主の先、2人が屋敷の奥で見て驚いたものとは?
首吊り坂で照る照る坊主の仕掛けに呆れた少年達は帰路につくものの、ケンヂとオッチョは照る照る坊主を横切った者(サダキヨ)の正体を確かめるために屋敷の更に奥へ。その後の描写でサダキヨともどものっぺらぼうなフクベエを見て驚いたとされているのですが、これはどういうことなのでしょうか?
本当に幽霊やお化けでない限りのっぺらぼうであることはあり得ないワケで、不可解な謎として捉えられがちではありますが、注目すべきはVA内での出来事である点です。
VAと思われる装置から目覚める“ともだち”(カツマタ君)。
通常のVAだとアイマスクのような機械を着けるだけでプレイできるのですが、彼の場合はなんだか大掛かりですよね。おまけに読み取りシステムの異常により強制終了したようで、普通にVAをプレイするのとは勝手が違うようです。
カツマタ君はフクベエのコピーとして暗躍していたのですが、彼の死後、彼そのものに取って代わろうとしましたね。このこととのっぺらぼうにどうも関係があるように思うのです。
で、これまた極論なんですが、こんな感じです↓
- フクベエそのものに成りすますために、カツマタ君はVAを通じて彼の記憶そのものを自身に取り入れようとした
- ところが誤動作(読み取りシステムの異常)により、随所にカツマタ君の性質が現れることに
- のっぺらぼう=少年時代の顔データがない、サダキヨやフクベエ以上に影の薄い存在じゃないかと。もしも影が薄くないのなら、フナの解剖実験の前日に死亡だなんて都市伝説を同級生達が鵜呑みにするワケがない
- 要するにケンヂやオッチョが首吊り坂で見たものはのっぺらぼう
- のっぺらぼうな人間=非現実的だから、赤の他人のチョーさんに“ともだち”だったりカツマタ君と特定されるワケがないので、このVA内のみの出来事と思われる
鏡の前で問いかけた2人称の意味とは?
2人称の問いかけを自宅や首吊り坂の鏡の前でしてみたり、純粋にフクベエとは考えがたい描写(フクベエの回想だけでは起こり得ない現象)もありますし、何よりのっぺらぼうといえばカツマタ君の専売特許なことから↑のように考えてみました。
なお、このことに関しては前回の記事のコメント欄でローズウッドさんが非常に興味深い書き込みを寄せてくれましたので、引用とともに一部紹介させていただきます。
このマンガにおいては、存在の薄い人物が幽霊のように扱われてると思います。フクベエは、顔が卵型のっぺらぼうとして表現。(16巻・第2話・第3話、本当の幽霊というタイトル 第5話)印象の薄い、存在感のない人物というのを顔の個性の無いのっぺらぼうとして表現したのではないでしょうか?他の誰かに置き換えられるような無個性な人物を表現している気がします。
… … …
そんなワケでいかがだったでしょうか。かなりの長文になってしまいましたが、後日更新予定の持論・推論【其の5】では更に突っ込んだ内容を記事ろうと思ってますのでよかったら読んでみて下さい。
2008年を皮切りに公開予定の実写映画版「20世紀少年」は無駄に3部作みたいですし、まだまだ本作品からは目が離せそうにない、そう思える内容に仕上がってくれるといいですね。